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スモレンスクの戦い (1943年) : ミニ英和和英辞書
スモレンスクの戦い (1943年)[すもれんすくのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

スモレンスクの戦い (1943年) : ウィキペディア日本語版
スモレンスクの戦い (1943年)[すもれんすくのたたかい]

スモレンスクの戦い(スモレンスクのたたかい)とは、1943年8月7日から10月2日にかけてスモレンスクで行われた2回目の戦い。この戦いにおけるソビエト赤軍の戦略的攻撃は1943年夏秋の作戦の一部として行われた。
この作戦はドニエプル川の戦い(8月13日 - 9月22日)とほぼ同時に発動して2ヶ月続き、カリーニン戦線(司令官アンドレイ・エリョーメンコ)と西部戦線(司令官ワシーリー・ソコロフスキー)が主導、1941年に行われた第1次スモレンスク攻防戦で占領されたスモレンスクブリャンスク地方からドイツ軍を掃討することが目的であった。
ドイツ軍の必死の防衛にもかかわらず、ソビエト赤軍は進撃を重ね、スモレンスクロスラヴリなどの主要都市を奪還した。この結果、ソビエト赤軍はベロルシアの解放作戦を立案し始めた。しかし、ソビエト赤軍による反撃はドイツ軍の激しい抵抗により、ほとんど進まなかった。
スモレンスクの戦い自体が重要な戦いではあったが、この作戦はドニエプル川周辺での戦闘に大きく影響を与えていた。ソビエト赤軍がドニエプル川を南方面で横断するための重要な土地、スモレンスク。この場所での作戦にはドイツ55個師団が必要であると見積もられた。作戦中、ソビエト赤軍はモスクワを西側から攻撃するために歴史的にも重要なスモレンスク陸橋で、ドイツ軍に決定的な打撃を与えた。
この作戦には以下の小さな作戦を含んでいる。
#スパス=ジェメンスク攻略作戦(1943年8月7日 - 1943年8月20日)
#ドゥホフシチーナデミドフ攻略作戦(第一次)(1943年8月13日 - 1943年8月18日)
#エリニャ - ドロゴブージ攻略作戦(1943年8月28日 - 1943年9月6日)
#ドゥホフシチーナ - デミドフ攻略作戦(第二次)1943年9月14日 - 1943年10月2日)
#スモレンスク - ロスラヴリ攻略作戦(1943年9月15日 - 1943年10月2日)
#ブリャンスク攻略作戦(1943年8月17日 – 1943年10月3日)
==戦略的背後関係==
1943年7月、クルスクの戦いがドイツ軍の敗北に終わり、ドイツが東部戦線で主導権を得られる可能性はなくなった。ドイツ軍の損害は数字上も激しいものであったが、それ以上にこの2年間に及ぶ戦いで経験豊富な将兵らを失ったことによる戦力の低下はがさらなる問題であり、これはドイツ軍がソビエト赤軍の対応に精一杯という状況をつくりだした。
一方、ソビエト連邦指導者ヨシフ・スターリンウラヌス作戦以降のソビエト赤軍が、これまでナチス・ドイツに占領された領土を回復することを決定、そしてそれはスターリングラードの解放に繋がった。ドニエプル川での作戦により、ウクライナの解放を行い、南部で戦線を西へ押し戻すことになっていた。そして、さらにドイツ軍を弱体化させ、北方のドイツ軍の戦力を弱らせる意味も含めてスモレンスクでの作戦が発動、そして、この作戦は戦線南部のドイツ軍を弱らせることとなった。この両作戦は戦略的攻撃作戦の一部であり、ナチスドイツが占領しているソビエト連邦の領土をできうる限り、取り戻そうとしていた。
30年後、アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥(1943年時のソビエト赤軍総司令部参謀総長)は回顧録にこう書いている。

「この大胆で、非常に多くの部隊が参加する作戦はいくつかの小さな作戦を通して実行された。スモレンスクでの作戦活動…(中略)…ドンバスでの作戦活動、ウクライナ左側面での作戦活動…(後略)」〔Marshal A.M. Vasilevsky, ''The matter of my whole life'', Moscow, Politizdat, 1973, p. 327.〕


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スモレンスクの戦い (1943年)」の詳細全文を読む




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